何がしたいかわからない時に読み書きするもの

人生って何、自分は何がしたいんだっけ、あれ、仕事って何のためにするんだっけ、って思った時に読み書きする文章

労働からの疎外について考える

今まで、哲学入門書的な本を、いくつも読んできた。最近読み始めた本が、今まで読んだものの中で、最もよいと思うので、紹介したい。「考える力が身につく哲学入門 畠山 創 (著)」。わかりやすく、今生きる中で、どのように哲学を活用していけばよいのかに示唆を与えてくれる。哲学の実践的な本といってもよいと思う。

まだ読み途中なのだが、その中で、一つ自分に新たな気づきをもたらした、マルクスの「労働からの疎外」について述べたい。本書の中では、労働からの疎外は、

「今、働いているのは何のためなのか?」を見失ったまま、それでもなぜか働き続けなければいけないように駆り立てられている人間の状態

と書かれている。これは、前の「社会的インパクトを見える化するニーズは、結局どこからくるのか」でも書いたうちの、3つ目の、社員のモチベーション喚起、という部分とつながると思った。

chikaochiai.hatenablog.com

マルクスの時と文脈は変わってきているかもしれないが、まさに資本主義の中で、人々の多くが「労働からの疎外」の状態に陥っているのだと思う。働かなければならない、お金を稼がなければならない、都内に住まなければならない、といったように、盲目的に働いている人は、いまだ多い。少しでも意味を見出していればよいが、なかなか難しいこともある。私自身、働き始めてから、いや、大学に通って将来を真剣に考えるようになってから、ずっと、ちょうど10年くらい、そんな状態だったと思う。私の場合は、体調や精神的な状態から、何も次が決まっていないのに、コンサルティングの仕事をパタッとやめて、労働の奴隷にならなくなったことから、解放されたという経験がある。今、労働の疎外の状態に陥っていて、かつ、私のように急進的な選択を迫られずに、道理にかなった形、リスクをそこまで取らない形で、働く意味、生きる意味を再度見つけるためには、どんな方法があるのだろうか。一つは、社会的インパクトというか、社会の中での仕事の意味を再定義することが挙げられると思う。でも、そんな言葉を使わず単純に、今回挙げている書が掲げているように、日々の中で、哲学をするというか、「考えること」自体を目的に、考え続けることがとても重要なアプローチだと思う。時間はかかるかもしれないが、徐々に解放へと向かう一つの、美しい方法だと思う。

かくいう私も、日々を過ごす中で、気づくと労働からの疎外状態に陥っていることもあるかと思う。日々、考え続ける。社会的インパクトなどという言葉で改めて示すまでもなく、人は、単純に、もっと考えることを再度、時代から求められているのだと思う。