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何がしたいかわからない時に読み書きするもの

人生って何、自分は何がしたいんだっけ、あれ、仕事って何のためにするんだっけ、って思った時に読み書きする文章

芸術と自分自身:Art, Born Creative, Engagement

 前の記事の①を書いてから、結構時間が経ってしまいました。そして続編になる②を書こうと思っていたのですが、その前に別のことを書きます。この1~2週間とても貴重な経験を通して自分の思うことがかなり言語化できたため、文章として書き残したいと思っているのです。

 この1~2週間、あらゆるダンスのワークショップに参加しました。その理由は2つあり、1つは『ダンスがとにかく楽しいので、年齢や経験にとらわれずにもっとやってみたい』と思ったから。そうしてもう1つは『本当にダンスが好きなのか、確かめたい』という気持ちがあったからです。そして異なるダンサーのワークショップ(いずれもコンテンポラリーのダンサー)に参加しました。そうして、予期せずダンスの枠組みにとらわれない形で、自分の『やりたいこと・やるべきこと・やれること』がクリアになってきたので、それをまとめようと思います。これが題目の、芸術と自分自身、ということです。

 それは、私自身がやりたいこと・やるべきこと・やれることは、『全ての人が"Born Creative"であるということを証明する・普及する・発育する』ことだと思ったということです。(この言葉は、2017年5月に東京芸術劇場で開催される藤倉大さんディレクターの"Born Creative Festival 2017"にそのままインスピレーションを受けています。参考:https://www.geigeki.jp/performance/concert107/)私はまさにこの言葉通りのことに活動の主軸を置きたい、ということを経験を通して思いました。

 私は4人の異なるダンサー(ダンス・カンパニー)の開催するWorkshopに参加しました。それぞれ面白い・面白くない、と思う瞬間があり、それらがなぜ起きているのかを掘り下げました。答えは単純でした。私が面白いと思うかどうかは、『誰もがクリエイティブだと感じられるか』に依存していたのです。いずれのWorkshopも、世界的に活躍するダンサーによるものです。クラシックバレエ出身の方もいますし、国籍もばらばらで、障がいを持つ方もいます。参加者も全く雰囲気が異なります。この、講師の違いや場の違いで、私が共にありたい芸術の姿が明確になりました。

 私が最も好きなワークショップには、年齢はもちろん若い子も、50代・60代の人もいて、男女もばらばら、たぶんそれもあって、誰も「これができなければいけない」ということは思わない。そして何より、WSの設計が『とことん自分に向き合うこと』に設定されています。「これが正解、たくさんターンができた方がいい、高く跳べる方が良い」といったテクニカルな話は全くありません。何も教えてもらえない。枠組みがない。それぞれが異なり、自分にはできることとできないことがあり、意識や音楽によって自らの身体がどのように変化するのか、それにとことん向き合う。自分で探さなければならないのです。自分の中にこそ、Creativityが存在するのです。その空間の中で同じ状況に取り組む人がいながらも、みんなが違う形で身体を動かし、またそこから影響を受けて自身が変わる。こういったことを呼吸や歩くことを通してひたすら行う。その空間の中でこそ、自分自身のCreativitiyを探求できるのです。これはもっと言えば、自分自身の存在意義・生きる意味を探求することと同義だと思っています。私はこのWSに1年ほど参加していて、ここが私のダンスへの興味の始まりでした。ただ今回、他のWSに参加したり、ダンサーに出会うことで、私は決していわゆる"ダンス"に強く惹かれているわけではないのだと、改めてわかりました。このWSで起こっているような、『全ての人が"Born Creative"であり、自分らしさを探求するもの、他の人との違いを認識しながら空間の創造を感じること、そのプロセスこそが美しい』という感覚に興味があり、信じていることなのだと改めて分かったのです。(そして余談ですが、藤倉大さんが相馬で行う「エル・システマ作曲教室」もまさにこの、Born Creativeの具現なのだと、改めて認識することができました)

 対比のために、残念ながら興味を持てなかったダンスのWS(の一部)を例に挙げます。ここでは振付が存在し、その振付に沿って行わなければならない。そうして『できなくてもよい』という感覚はありません。足が高く上がった方が良いし、長く跳躍できた方が良い。その方がより"イデア"に近く、美しいからです。これは何をダンスと規定するのか、何を美しいと感じるのかにもよりますが、一般的により強くEngageすることが美しいとすれば、その高みに挑戦する・それができるという意味では、Audienceは明確により強いEngagementを感じることができ、美しいことなのだと思います。一方で、『xxでなければならない』『xxであるほうがよい』という前提があるために、個人の差は一定のレベルに行かない限り『それぞれの違いなのでそのままが美しい』とはならないのです。それは努力の不足とは異なります。年齢や性別、生まれた環境や身体機能の差により、できること・できないことがあるというのは努力とは全く別の軸で存在することだと思います。そしてまた、興味深いのはいわゆる"ダンス"色が強いWSほど(例えばダンス経験者が非常に多いとか、講師がコンサバ志向であるとか)、例え意図していなくても、私のような経験が浅いものは、なんとなく引け目を感じるのです。これは場の設計に依存しますが、「初心者歓迎」と書いてあっても、WSの作り方として、「これは型を目指しているものではない」とか、「そのままでよい」とか、そういった誘導がないと、なかなか『全ての人がBorn Creative』な場にはならないわけです。覚えなきゃ、こうしなきゃ、ああしなきゃ、と心が支配されていくのです。周囲の若いダンサーを目指す方々がいる中で、できなくて悔しい思いもありますし、あれ、私って場違いだな、と思ってしまうのです。ただこの体験を通じて、私が目指しているものは違うものなのだと痛烈に感じることができました。もっとクラシックバレエを続けておけばよかったな、という後悔がないのは嘘になりますが、だからこそ、私にしかできないことが別にあるのだと再認識できたわけです。

 異なるWSに参加することを通して、CreativityやAestheticというのは、何かの型や枠があってそれができることで生み出されるのではなく、個々人が独自に生み出せるものだということ、それを探求することこそに、私が求める真実があるのだと思ったのです。

 スコットランド人のダンサー、Claire Cunningham氏(彼女は足に障がいがあり、松葉杖と共に踊ります。)のWSの中で、2つの言葉が特に印象的だったため、引用します。一つは、『各人の有する時空は異なる』ということと、もう一つは、『美しさはEngagementから生まれる』ということです。

 一つ目の言葉は、個々人の持っている能力や感じ方はそれぞれ異なるので、それは異なっていて当然だ、ということです。ですので、耳が聞こえない人のためには手話通訳の時間をみんなが当然待つし、トイレの時間が長い人は、当然その時間を待ちます。そこには絶対的に『xxしなければならない』という世界観はありません。生物学的に個体は異なっており、その人にしかできないことがあり、その人にはできないこともあり、それぞれを真に尊重していると私は感じました。彼女はまた、自分の障がいは一つのAdvantageでもある、とも言っていました。足が弱く、松葉杖だからこそ、自分にしかできないダンスがあるというのです。

 二つ目の何に美を感じるのか、何が芸術を美しくさせるのか、という問いは常々私も持っているものですが、彼女は『Engagement』という言葉を使いました。これは本当にシンプルで、納得のいく素晴らしい考えだと感じます。「何々ができること」「これこれの形」ということには、私たちは直接的に感動していないのではないでしょうか。その背景にある、そのダンサーの強い信念、まさにEngagementを感じて、そこに強く心を奪われるわけです。よってAIの作る芸術模倣品は我々の心を強く動かしはしないでしょう。そのAIを作ったEngineerには、あるいは美しさを感じるかもしれません。これは芸術を超えてもなお単純に語れることで、先日の全豪オープン決勝のRoger Federer・Rafael Nadal戦の美しさも、そのEngagementから伝わってくるものだったと思います。何度も引用しているDaniel Barenboimの言った言葉、「私たちはテクニックはなんでも教えることができる。でも、『好き』という気持ちは教えられないのです。」という言葉も、芸術家各人のEngagementにつながるからこそ重要であり、「好き」という気持ちが芸術の美しさに直結するのだ、と改めて思いました。

 私はダンサーになりたいわけでもないし、いわゆるダンサーにはなれないのかもしれません。ただ、全ての人が自分はCreativeだという自信を取り戻せるための活動をしていきたい。それは大きな社会の枠組みの中で、全ての人が生きる・生まれた意味を取り戻していくこととも言えるでしょう。自分自身があらゆる創造のプロセスを繰り返すこと、子どもや、Creativityを忘れたり・かき消したり・押し殺している大人に対して、Creativityを引き出せる場をたくさん作ること。そういった活動をしていきたい。『自分にしかできないことがあると実感する』『自分の存在意義を実感する』『他者との関係性を実感する』ということは、自分自身に向き合う芸術活動を通してこそ、最も効果的にできるのだと思います。誰もが、自分も他者も、それぞれその人にしかできないことがあることを思い出せる場を作りたい。そのために芸術があるのだと思うし、私が芸術活動に向かう意義があるのだと思います。何より、私がそうして自分自身のCreativityを今、実感として取り戻しているのだとも感じます。

 まだまだ書きたい気持ちもありますが、大変長くなりましたので、終わりにします。冗長な部分もありますが、自分の思うことをたくさん書いてまとめて、大変充実した嬉しい気持ちです。