何がしたいかわからない時に読み書きするもの

人生って何、自分は何がしたいんだっけ、あれ、仕事って何のためにするんだっけ、って思った時に読み書きする文章

「やりたいこと」の原型に出会う、「こうなりたい」人に出会う

 2月の最終週になりますが、コンテンポラリーダンスのワークショップに参加しています。これが、技術的にはもちろんなのですが、「場」として、ものすごく楽しい。

 ワークショップを担う講師が楽しくて、明るくて、技術ももちろんすばらしくて、愛にあふれていて、どうしようもなく楽しい。この3か月間様々な講師のワークショップに参加したのだけど、その中でもずば抜けて「場」が素晴らしいのです。

 そしてその「場」は、ロジックで分解できるようなものではなくて、単純に講師の先生の「人柄」そのもの。彼が明るくて、面白くて、みんなをCareしていて、グループとして完成させようという想いがあるから、参加している人たちも引っ張られるように同じになる。中学生も、40歳を超えている人も、男女も、ダンス経験もばらばらの16人だけれど、3日目にしてすごく仲良くなっている。振りも自然にお互いに確認できるし、「一緒に踊ろう」という気持ちがある。

 すっごく不思議で、楽しい。‟Groove”ってワークショップ中に先生もいうけれど、本当にそれ。友だち(この場合友達なのかもわからないけど、とにかく一緒にダンスを作るかけがえのない仲間)と一緒にGrooveを感じている。いつも理詰めで分解して考えてしまうのだけれど、今回は、この場づくりは、一口に彼が素晴らしいから。

 そしてその場に参加してみて、みんなが、自分が自由に自然に変わっていくのを実感して、私は「これ」がやりたいんだな、と思うし、「この人」になりたいんだな、と思ったのです。

 これはまさにコミュニティーアートだと思うし、元々言っていたダンスのワークショップそのものなんだけれど、まずは自分が「こういう人」になって、「こういう場」を作り上げたい、ということを実感することができました。

 ちょうど先日コロンビアで活躍する日本人横井研二さんが、「コロンビアに足りないのは日本の規律、日本に足りないのはコロンビアの自由さや楽しさ」みたいなことを伝えていたのですが、これまたしっくりきました。私が自由なダンスに魅了されているのは、自由さであり楽しさを完全に開放できるからなんだな、と。

 私はコンテンポラリーダンスのワークショップを通じて、「精神的な貧困(つまり自分のやりたいことを見つけられなかったり、見つけてても社会的状況から精神的に我慢し続けていたりすること)」にある人と共に、自己を解放していきたいんだろうな、と思う。音楽に合わせて、みんなが持っている「同じ」身体を合わせて、直に実感して、だれにでもすぐできて、そうして内発的動機をノックしていく。もちろん本当にやりたいことがダンスではなくてもよいのだけれど、精神を閉ざしている壁を壊せる、最も効果的で楽しい方法の一つがダンスだと思うし、それをもっと多くの人と共有してみたいな、と思っています。

 ラテンのノリが元々ある人と一緒にやりたいわけじゃないのかも。本当は壊したいけど壊せない心の壁を持っている人を、ダンスを通して一緒に壁を壊していきたいんだろうな。

 初めてフランスに行って、自分の心の壁がだんだんと開いていったことを思い出す、そんな1週間です。そして今は、その感覚をダンスを通してより広くの「精神的貧困」に苦しむ人に届けていきたいな、と思っています。