何がしたいかわからない時に読み書きするもの

人生って何、自分は何がしたいんだっけ、あれ、仕事って何のためにするんだっけ、って思った時に読み書きする文章

「人と比べる」ことに意味がないこと

自分自身、いやになること。それは、人と比べてしまうということ。それがあって、いつまでも、ブレイクスルーできないことがある。自分でもわかっている。比べることに意味がないこと。ただ、自分がやれば、それでよいこと。でも、比べ、なんとなく”ひがみ”、なんとなく躊躇したり、誇張したりしている、そんな気がしてしまうことがある。

「人と比べる」ことにそんなに意味はない。たとえ、比べてそこで「自分の方が上だ」と思っても、他にはもっと上がいるかもしれないし、どんな論点で上なのか?考えるときりがない。例えばピアノは私の方がうまい、と思っても、ショパンはうまいかもしれないけれど、ベートーヴェンは自分の方が下手かもしれない、サッカーがうまい、といっても、ドリブルはうまいかもしれないけれど、シュートは自分の方が下手かもしれない。それから、色々比べて、「自分の方がよくできる」と思っても、どこかで相手や他の人も同じように、私のことを「自分より下だ」と思っているかもしれない。そして、自分が比べて上だ・下だ、と思っているほど、相手もそう思っている可能性が高い。思っていてもいいけれど、自分が自分の方が上、と思っていても、相手からは下、と思われていたり、自分が下、と思っていても、相手からは上、と思われていたり、どっちも正解でもないし、何よりそんなことを考えると、心がいがいがして、人と一緒にいても楽しくないのである。

それよりは、あ、この人のこういうところいいな、と思っているのがよい。そしてそう思っていると、相手も、自分のこういところがいいな、と思ってくれている。そうすると、楽しいし、未来が広がる。もっと言えば、変な言い方かもしれないけれど、生きる希望につながると思う。自分のいいところを知ることに直接的につながる。相手は自分を映す鏡だというけれど、本当にそのとおりなのである。

そうはいっても競争社会の世の中で、なかなか自分の考え方を変えられないということもあると思う。自分もそうだ。そういう時に、まず、始められるのは、人ががんばっているのを心からいいなと思える領域で、自分も頑張ってみるということである。私の倍は、ダンスだ。元々専門でやっていないから気楽である、ということもあるかもしれないけれど、個人的にどう評価されようが、他人がどうあろうが、ただただ、踊ることが楽しいのである。そういうものをがんばるというのは、毒素のない、美しいものが生まれる。そこから人と比べないことに慣れていく、というのも一つのやり方だと思う。

「人と比べる」というよりも「誰かの能力と自分の能力を比べる」ことは時に頑張るため、より優れたものを生み出すために、必要なこともある。しかし、日常生活の中で、何かと「人」と比べていくことに、意味はない。相手のよいところ、自分のよいところを引き出しつつ、楽しみつつ、より優れたものを生み出すことはできる。そして、その方が美しいものを生み出すことができると思う。