何がしたいかわからない時に読み書きするもの

人生って何、自分は何がしたいんだっけ、あれ、仕事って何のためにするんだっけ、って思った時に読み書きする文章

何がしたいかわからないけど、色々やりながら考える

ニーズは時々刻々と、変化するものだ。非暴力コミュニケーション(Non-Violent Communication, NVC)で学んだ、好きな一節である。ニーズは時々刻々と変化する。若干文脈は異なるが、昔はぶどうになりたい、ケーキ屋さんになりたい、科学者になりたい、火星に行く人になりたい、ピアニストになりたい、と言っていたものだ。今も重なるところは(ぶどう以外は)ありつつも、だいぶ変わり、毎日何がしたいんだっけ?と考えながら、さらに少しずつ変化しているところである。そしてそれでいいのだと思う。考え続けている限り、毎日新たな発見がある。探し続けている限り、毎日何かに出会うことができる。一見関係ないようなことでも、あとでピーンとつながることがある。スティーブ・ジョブズのConnecting the dotsとも似ている。

今、私は(自分の子どもだけじゃなく)子どもたちに、希望を持って欲しいと思っている。希望を持つ子どもが1人でも増えることが、私の毎日のKPIだ。そのために何がしたいか、何ができるか、毎日考えながら動いている。様々な現実の中、実際何もできない日もあるけれど、商店街のカフェで一緒になった男の子の夢を応援したり、そういう小さなことにつながることもある。

そしてまた、色々考えながら、仕事のつながりもあって参加した「アート&メディア・フォーラム「ポスト・オープンデータ時代のカルチュラル・レジスタンス」」のイベントで、また一つ言語化が深まったと思う。私はアートに関心が高いが、メディア・データ・テクノロジーといった側面から改めて①新たな視点を得ること、②市民一人一人を尊重し力につなげること、の大切さ、そうすることで豊かで開かれた社会を作ることの重要性に気づき、アートやテクノロジーといった分野が重要なのではなく、(誰か・どこかからの一方的なコミュニケーションから離れた)開かれたアートを、開かれたデータを、一人一人に届け、考え、動くことにつなげていくことが重要なのだと思うことができた。(仕事で携わる)評価も、アートも、メディアも、エッセイを書く理由も、全て①、②の点、新たな視点を与え合い、一人一人が考え動いていく力を得るために、自分ができることをやっているのだと、気づいたのだと思う。

翻って、さはさりながら、自分のニーズは時々刻々と、変化するものなのだと思う。8月から毎日続けている人生の目標10個を書き続ける営みも、徐々に変化している。そしてまた、未だにぶれていないものもある。何がしたいかなどは、今、この瞬間刹那的に存在しているものかもしれない。ただそれを紡ぎ続け、考え続け、新たな視点を交換し合い、互いが生きる力を手にしていくことが、私がしたいことなのだと、あるいはただしていることなのだと、今ここで思うのである。