何がしたいかわからない時に読み書きするもの

人生って何、自分は何がしたいんだっけ、あれ、仕事って何のためにするんだっけ、って思った時に読み書きする文章

波長の合う、合わない人

昔の友人から連絡があったときに、メッセでやり取りしているだけで、あれ、なんか波長が合わないな、と思うことがある。普通のあたりさわりのない会話をしていても、である。会っていれば、なおさらわかることもある。

波長の合う、合わないを普段、どう見極めているのだろうか。仕事の採用面接においても、なるべくバイアスや個人的主観を排除したいと考えてやっているが、こういったことも何となく影響してしまうことが多いように思う。一つ一つの言葉から受ける印象、それを頭の中で組み立てて考えることで、その人の人物像・価値観を理解し、そして、自分のそれと照らし合わせているのだろう。例えば、昨日の昔の友人とのやり取り。「だれか男の人を紹介して、かっこよくて、頭が良くて、優しくて、お金持ちの人、3高」。この「だれか男の人を紹介して」は、まったくニュートラルに捉えられるのだが、「かっこよくて~」からを聞いて、あ、なんか、違うな、と思ってしまった。特に、いくつも外見的な要素や、お金の部分を並べられたからだと思う。良い悪いの問題ではなく、好き嫌いの問題なのかもしれない。そういう価値観を持っていてもよいとは思うけれど、私は好きではない。私は、人は存在するそれだけで価値があると思う。そして、一緒にいてみなければ、自分と合うか合わないかがわからないと思っている。私が結婚した相手は、元々、外見がすごいカッコよいとも思っていなかったし、優しいかもわからなかった。どちらかというと、何を考えているかよくわからなくて、合わないな、と思うこともあったと思う。でも、しばらく一緒にいることで、自分のない部分を補ってくれる、そして、お互いの波が常に共振したりはしないけれど、寧ろ打ち消し合って、平穏をもたらしてくれると思った。今や、お互いの波は共振し、嬉しいことや楽しいことが何倍にもなると感じることがある。

波長の合う・合わない、は自分と似ている・似ていないとも違うと思う。全くちがう人でも、波長が合うな、とか、一緒にいて心地よいな、と感じることはある。なんとなく合わないな、とか、居心地が悪いな、と思うのは、要は考え方に全然賛同できないな、と思うからなのではないかなと思う。ただ、考え方に全然賛同できない人だからといって、波長が合わないからといって、そういった人との対話をあきらめてはいけないと思う。世の中多様で、自分が賛同できない人と出会うことは多々あると思う。家族や親せきにおいてもそういうことはある。共振する人たちばかりとあっていて、ハイにばかりなっていても仕方ないのかもしれない。自分の波形が乱されたり、まったく打ち消されたりすることで、新たな発見がある。多様な波があって、この世界が初めて調和しているのだと思う。自分の波がただしいとか、ただしくないとか、そういうことではない。ただ色々な波が出会い、混ざり、離れ、共存しているのだと思う。