何がしたいかわからない時に読み書きするもの

人生って何、自分は何がしたいんだっけ、あれ、仕事って何のためにするんだっけ、って思った時に読み書きする文章

今を生きること、それができること

仕事柄、目標に向かって、何ができるかを考えましょう、ということを行うことが多い。そして、今やっていることを踏まえて、どのような成果が出るのか、どのような成果を目指したいのかを考えましょう、ということをいうことも多い。特に、社会にとって意義のあること、大義があることに向かってどうしていくかを考える、ということがほとんどである。

政治哲学の本を読んだ時に、バックキャスティング的に考えることは絵空事、多様な関係者の納得できる点を見いだせなくなるので、今ここにあるものから考えていく方法の方が、合理的だということが書いてあった。一方で、最近はやりのSDGsでは、ゴールに向かって、とにかく将来目指すものから逆算して考えることが重要だという人もいる。

 自分の人生に置き換えて考えると、改めてどちらも大事だなと思う。目指しているイメージがあると今やっていることをより頑張れる時もあるし、今やっていることに集中するからこそ、次の道が拓いていくこともあると思う。そして、最近気づいたのは、特に今ここでできることにとにかく集中することの大切さだと思う。どんなに理想を描いていても、今行っていることが苦しいと続かないこともある。その理由だけでもない。今に集中していると、本当に、思いがけず、広い道が拓けることがとても多いように思う。何がしたいかわからないのであるが、今することがあるのは大変にすばらしいことである。そして、今生きているという抗えない現実を前にして、今何かをするとは、生きることそのものである。もし、無目的に、何か集中してできることがあるのであれば、それは美しいことである。

私は今、幸運にも、妊娠という期間をとおして、この、無目的に何かに取り組める時間があると感じることが多い。とにかく、歩く。とにかく、食べる。とにかく、読む。とにかく、書く。とにかく、描く。何につながるかは考えていない。なりたい自分が将来にあるのではなく、なりたい自分は今、この自分である。でもそれは理想だとかそういったことではなく、丸裸の、ただ一人の人間としてここにある、という実感である。

今日、岡本太郎記念館に行った。散歩が一つの目的でもあったのだが、よく調べずにいったら、太郎賞を受賞した「さいあくななちゃん」が公開制作を行っていた。壁一面の作品と彼女を、太郎の作品と共に見ることで、今、ここに生きる、(太郎は爆発・歓喜という言葉を使うが)という瞬間をつかみとったようだった。彼女の受賞作はこの5年間の作品をインスタレーションしたものであったが彼女の5年間は太郎賞を受賞するために積み上げてきたものではない。そこには彼女の今、イマをとにかく積み上げた苦悩と一体の歓喜が、あるのだと思う。

何かを目指して積み上げているものは、往々にして、それ以上になりえない、というよりも、今をないがしろにしてしまいかねない。今を生き抜くことに、全てがあるのではないかと思うのである。そして、今を生き抜くことができることが、実はとても特別なことなのかもしれない。