何がしたいかわからない時に読み書きするもの

人生って何、自分は何がしたいんだっけ、あれ、仕事って何のためにするんだっけ、って思った時に読み書きする文章

おなかの中にいる赤ちゃんが教えてくれること

もう臨月で、これから生まれてくる赤ちゃんのことをよく考える。
そして、出産後の自分の人生が変わっていくだろうなということもよく考える。

日本の友人や先輩はよく、「赤ちゃんが生まれると(自分の時間も無くなるし)大変だよ」というネガティブな話ばかりするので、きっと自分の時間がとれなくなるのだろうな、と思ったりもする。
一方で、一部の人や、海外の友人等は、「赤ちゃんが生まれると大変なこともあるだろうけど、楽しいことがたくさんあるよ」とおめでとうの気持ちをたくさん伝えてくれる。そして、私はあぁ、本当に幸運に恵まれていて、これからが楽しみだなぁと思ったりする。

いずれにしても、自分にとっても、これから生まれてくる尊い命にとっても、美しい、歓喜あふれる時間の使い方をしたいとより強く思うようになった。

特に強く考え直しているのは、やはり仕事。

https://forbesjapan.com/articles/detail/27585

Forbesの記事で、37%が仕事の意義を感じない「Bullshit Jobs」があるのだ、というものがあったが、私の仕事は果たして本当に意味があるのか改めて考えさせられた。

行政機関のコンサルや、公益事業の価値の見える化などを実施しながら、「社会に良いこと」は何かを考える仕事は、すごく意義のあることのように思えるけれど、単なる自己満足で、あるいは単なるおままごとなのかもしれない、と思うこともある。拡張して考えれば考えるほど、世の中に存在する多くの仕事が、実は全て茶番なのかなと思ったりもする。

そこでまた立ち返るのが、岡本太郎の言葉だ。

「人生、即、夢だ。」
「一日中、精神を燃やしつづけている。」
「ぼくは現在、この瞬間瞬間に賭ける。」
「いまここで爆発するんだ。」
「純粋な心をごまかさないこと。」
「たいていの人は、成功しないとガッカリする。でも”成功しなくていい”ということを前提にやっていれば、なんでもないだろ?」
「一年の計ではなく、一生の計は、三百六十五日毎日毎日、自分の存在の前にあることを知るべきだ。」

私は今の仕事は好きだし、やりがいもあると思っているけれど、突き抜けて考えると「成功したい」という気持ちと無縁ではないと思う。評価されたい、という気持ちが常にどこかにある気がする。自分が一生懸命やっている領域に関しては殊、競争意識も持っていると思う。

私が一日中、精神を燃やせるもの、毎日毎日、自分の存在の前に据えて向き合えることは、なんだろうか。「人生はこう生きていくんだ」というスジはなんだろうか。人の評価を気にせず、危険な道に向かっていくものとはなんだろうか。

こういう考えを、おなかの中にいる赤ちゃんが再びうながしてくれている気がする。積み重ねてきたものや、外聞を一旦全部忘れて、ママが本当に心の中で持っているコアは、これなんだよ、というのを教えようとしてくれている気がする。

私にとって、ダンス(というか勅使川原三郎のWS)の場は、自分のコアとなるものだと知っている。それから、公益について「考えること」と(プロジェクトを回すことではない)、ピアノと、ものを書くこととも、そうだ。これらのことをしているときは、成功したいとか、認められたいとか、誰かのためだとか、そういうことは思わない。自分のためであり、歓喜であり、時間が消失し、人生はこう生きていくんだ、という軸がからだの中心にとおる。そこには人の役に立っているとか、お金を稼げるとか、みんなに認められるとか、そういうことがない。だからこそ、すごく不安になる。ママとしてそれでよいのかとかも考えてしまう。でもこれは改めて赤ちゃんからの声なのかもしれないなと強く思う。

私は未だに「危険な道を選ぶ」ことを人生の中でなかなか実践できずにいるけれど、今、今日から、少しずつ実践していこうと思える。赤ちゃんにも、自分のコアに従って真っすぐに生きていってほしいと思うからである。