何がしたいかわからない時に読み書きするもの

人生って何、自分は何がしたいんだっけ、あれ、仕事って何のためにするんだっけ、って思った時に読み書きする文章

呼吸と知覚と肉体とのレゾナンス

コンテンポラリーダンスコンテンポラリーダンス、って言ってきたんですけど、年始に何回かワークショップに参加して、あー、えと、コンテンポラリーダンスをマルっとまとめて好きなわけじゃないんだな、と認識したので、それを書こうと思います。

私が好きなのは、呼吸と知覚と肉体のレゾナンス(共振)。存在と知覚の調和といってもよいのかもしれません。

色んなコンテンポラリーダンスがあるので、そしてそれはダンサーに依存すると思うので、結局どういう哲学でコンテンポラリーダンスとして踊っているのか、ということが好き嫌いを分けていると思っています。

私は踊ることは好きですし、見ることも好きなんですけど、The コレオグラフィー、みたいなのは好きじゃない。踊るのも見るのも好きではありません。例えコレオグラフィーがあっても、そこに呼吸と、その本人から来る知覚と、そこにある肉体の共振から生まれているものが好きなのです。さらにここに音楽が合わさると、もちろん呼吸や知覚に変化が生まれるので、肉体としてとても面白い。

よく良いダンサーは音楽に合わせて踊るのではなく、自分自身が音楽なのである、といったりもしますが、そうした波動、波長であり振幅であり、そうした有機体としての存在をいかに呼吸と知覚とで生み出せるのか、ということに尽きると思っています。(私の美学として) 

だから今年は、コンテンポラリーダンスという名の下にはなるけれど、やっぱり結構偏って、自分が好きだと思うものばかりを語り、踊り、観て感じていこうと思うのです。コレオグラフィーを頑張る系のワークショップにはいかないと思います。

また、自分の中で音楽とダンスの考え方、感じ方が全然違くて、そこもまた面白いと思っています。音楽はピアノの演奏という意味で超・基礎を学んできたがゆえに、即興演奏といっても自由になんでも、とうまくできない気がしています。一方でダンスはむかーしバレエとバトンをやっていた基礎はあっても、ほぼ覚えていないので、インプロが感じるままにできるので、超楽しい。音楽は一定範囲の気持ちよさ、というものを(私は)追求してしまいがちなんだけれど、ダンスは無限の可能性を感じる、というのもまた違う点だとも思います。

ひとまずピアノもダンスも自分の呼吸、知覚と肉体とで、ぽつぽつと、やっていこうと思います。そしてこうした感覚を研ぎ澄ましながら、自分のプリンシプルとして、仕事や知的生産である研究についても適用していきたいなと思っています。