何がしたいかわからない時に読み書きするもの

人生って何、自分は何がしたいんだっけ、あれ、仕事って何のためにするんだっけ、って思った時に読み書きする文章

自分の感じること考えていることしていることは世界を創っていること

 東北出張で雪がすごく、早朝と夜に長くBBCラジオをホテルで聴いていました。

 そこで、最近ISに入った若い男の人のインタビューが流れてきた。その内容、何かの雑誌で読んだ内容とも近いのですが、本人の声で聞いたということが自分にとっては衝撃で、色々思ったことがあるので、書き留めておこうと思います。

 それは、自分自身が今生きていて、感じて考えて行動していることは、全て世界とつながっていて、世界を創っているということの圧倒的な実感です。風が吹けば桶屋が儲かる、砂漠の蝶の羽でハリケーンが生成される、そういった感覚が自分にとって圧倒的に実感されたインタビューでした。

 彼が言っていたことは簡単で、「自分は難民の立場にある、仕事を見つけるのが難しくて、一生懸命探してやっと就職したのに、そこにある環境は、周囲の人から無視されるという状況だった。精神的、経済的に困窮し、自分にとってIS以外道がないように思えた」といった内容です。乱暴かもしれないけれど簡潔に言えば、「周囲の人々に排他的にされたから、ISを選んだ」ということだと思いました。

 これは自分にとってすごく身近な言葉として耳を貫きました。自分が普段の生活の中で何気なくやだな、と思って避けている人、田舎の中学生を見たときに、教育レベルの差を感じ、あぁ自分は東京の教育を受けてよかったな、と思っていること、そういうこと一つ一つ、そういう考え一つ一つが、誰かに影響を及ぼして、その人の人生の尊さを奪っている可能性があること。同じ職場の中で明らかに職場いじめ的な環境があるのに、なんとなく部署が違うから声を上げづらいこと。そんなこと一つも同じだと。誰か一人でも理解してくれる、声をかけてくれる、ハグしてくれる、そんな人が一人でもいれば、きっと違うのだと。そんな風に思いました。

 私は「まず自分にとってのcallingにつながること」、「自分を愛すること」が人生の中で最も重要だと思っているのですが、同時にそれが直接的に世界につながること、世界を創っていることを理解し意識することの重要性を、今朝のインタビューを聴いて痛烈に実感しました。私たちは別に誰かの他の人の人生のために生まれてきたわけではなく、自分の人生を(自分自身の心で選んで)生きるために生まれてきたと思っているのですが、その事実そのものが世界創造であるという認識が、私には不足していたと感じました。社会的課題解決のために、貧困状態の子どもたちのためにダンスを踊るわけではない、自分自身のためにダンスを踊るわけだけれども、誰かの悪影響、誰かからの愛の欠落により別の誰かがcallingに近づけない状態にあることは、自分自身加担してはならない、という意識を持ちました。

 つまり自分自身の感じること、考えること、することには常に自分自身への愛と共に周囲の人への愛があることが必要不可欠であり、また、何か愛の欠落している状況に遭遇したときには、そこに愛を注ぐことが自分のその場での使命だと思って行動する必要があると思ったのです。

 きっとバレンボエム・サイード・アカデミーはそういう意識からgenerateしたのだと、そんな風に思いました。

 なんてことないラジオの一部によって、私の価値観が少し変わっていく予感のする一日となりました。