何がしたいかわからない時に読み書きするもの

人生って何、自分は何がしたいんだっけ、あれ、仕事って何のためにするんだっけ、って思った時に読み書きする文章

書いたレポートの英語訳を監訳していて思うこと Weird Japan

 2016年にとあるレポートを共著で書きました。これの英語訳版の確認を行っているのですが、気付いたことがあるので、メモ。

 日本語で書いていたことが、英語になると気持ち悪くなることがいくつもある。それは文章の意味でも、内容の意味でも。最近毎日BBCを見ているのですが、日本にいると良くも悪くも(どちらかというとネガティブな意味で)非常に視野狭窄になるなぁと思います。それがさらに裏付けされている感じ。自分で書いておいてなんなのですが。。。

 そしてレポートを英語で見てみて思うのは、「xx団体の設立」「xx委員会の設置」「xxにおける討論の開始」の乱立というもので、すなわちこれは「何の結論も出さないけど議論している形だけはあります!」ということの連続で少しずつ動いているものがある(多くは動いていない)ということを、まざまざと見せつけられた気がしています。

 さらに、このレポートは減税しよう~とか、制度の拡充をしよう~という部分を書いているのですが、これって何なんだ?と改めて問いたい。「イギリスではあるのに、アメリカではあるのに」、という前提から議論を始めていることも結構多いのですが、そもそも文化圏が違う中で、海の向こうの国ではそれが個人・組織・社会を通じて必要だからできていたこと。日本で必要な理由に関する説得可能なロジックが抜けているように感じるのです。公共セクターにも民間セクターにもできないことだから、NPOががんばるのだ!とか、社会的企業が、というのはよくわかるのですが、じゃあなんでそこのために法整備をする必要があるのだっけ?という。なんで”ソーシャルセクター”が必要なんだっけ?改めて自分でも説明が足りていない気がする、、、うーん。

 日本人は、欧米諸国から学んできたし学ぶことはもちろん多いのですが、その上で、戦争に負けながら欧米化を志し、国民のメンタリティも日々変化していながらも憲法は一度も改正しない不思議な国で、何をすべきなのかを、もう一度0ベースで考える必要があるのではないかと思った次第です。

 民俗学的観点も含めて、こういうことに関して論考を重ねた本、読みたいですね。