成長する人は、批判を受け入れられる人
年度末の仕事が佳境に入っている。多様なクライアントと最終的なやりとりをさせていただいるが。ここで、お互いに批判を受け入れられるかどうかが、すごく大事なポイントだなと思うことがある。
批判を受け入れようとしなければ、人は変わらない。変わるためには、自分とは違う人やモノに出会い、知り、考える必要がある。
一方的に相手をやっかんでの批判はあれなのでここでは特にとりあげないが、批判を取捨選択した上で受け入れられることが重要だと考える。
例えば、クライアントに対してこうしたほうが良いとか、こういう部分が課題ですよ、ということは多々ある。それを聞かない、聞いても受け入れようとしない。それはイコール今の自分を変えたことがない、変えたくない、ということなのだと思う。逆もまた然り。
自分を貫くのを大事なこともあるけれど。側から見てもっとこうしたほうがよいよ、という意見は、率直に聞いたほうがよいと思う。それは、自分では思いつくことのできないイノベーションの種だから。みすみす聞き流すのはもったいない。
地方創生で、よそもの、ばかもの、わかもの(順不同)を受け入れるのが大事、と聞くが、これはまさに変わらなくなった地方の持たない視点を、受け入れるために必要な人たちなのだと思う。
ちょっと辛いと思うこともあるが。自ら、批判的に率直な意見を述べてくれそうな人に、どんどん意見をもらってゆこうと思うこの頃である。
Youtubeを1.5倍速で見てたら、日常が超早口になった話
最近夜中に、Youtubeをみるのにはまっている。
こんなにもたくさんのYoutuberがいるということを、知らなかった。
しかも、私はお笑いが好きだが、芸人の人たちも、自分のYoutubeチャンネルを開設したりしている。
これは、小学生が大好きになる理由がよくわかる。よく考えられているし、テレビのように、受動的な感じは少ないのだ。自分で飛ばせるし、嫌になったら変えられるし、クリエイターも、より主体的な感じなのだ。
夜、みるとき、時間短縮のために1.5~1.75倍速でみている。(聞き取れる範囲内で)
30分の動画だったら、20分で見られるし、内容も普通によくわかる。英語だと、英語の勉強にもなる。
そんなことをしていて、2週間。
日常の会話が、超、早口になっているのである。
いいことなのかわからないが。。。なんだか、はっと気づくと、超、マニアックな博士のような話し方になっているときがある。
でも、楽しくて、やめられない。夜の料理チャンネル、メイクチャンネル、お笑いチャンネル、1本みて寝るだけで、なんだか脳がリセットされる気がするのである。
離乳食の破壊力
離乳食が、やばい。破壊力が、すごい。
何を言っているかというと。作るのが、めちゃ大変なのである。
うちは共働きとはいえ、夫も育児を割に手伝ってるし、ブレンダー(粉砕するやつ)も機械があるし、残業もそんなに多くない。
けど。
土日になると、どちらかの午後、まるっとずっと離乳食を作って、1週間分の娘の献立を用意して、冷凍することになるのである。
これが、めちゃ、大変。
我が家の場合、平日の勤務時間中はまるっとシッターさんに来てもらってて、自分たちで離乳食を用意しなきゃいけないから余計なのかもしれないけれど。
4月から保育園に入るから、だいぶまた変わるけれど、今は土日で、その破壊力を吸収している状況なのです。
普通に働かずに子どもの面倒を見ているお母さんは、子どもと遊んだり家事をやりながら、離乳食を作ってるんか。。。
すごすぎる。
そして、売っているのを買えばいいじゃない(サラリ)
と思うかもしれないけれど、結構高かったりもする。
離乳食の破壊力、すごい。
それから、もう一つ。食べる姿が、可愛すぎる、という破壊力がある。
はむはむ、あむあむ。えー、先週食べられなかった納豆、もう好きになってるやん!
いつのまにか、お肉食べられるようになってるやん!
バナナの時だけ、声上げて喜ぶやん!など。
とにかく可愛すぎるのである。だから、頑張って作っちゃう。
まぁ頑張って作っちゃっても、全部ひっくり返されたりするんだけど。
おもっきし食べ残されたりするんだけど。
でも、かわいいから、いいかなと。
離乳食の破壊力、とにかくすごい。
歯医者で、がんばってくださいね〜、と言われるのがキライ
半年ほど前から、歯の矯正をしている。出産後、顎が痛すぎて始めたものだ。
で、矯正って結構痛い。あと、歯医者で作業?治療?していただく間、ずーーーーっと口を開けておかなきゃいけない時などもある。
その時、
「がんばってくださいね〜」
と、呑気に言われる。これが、とても嫌なのだ。
第一に、がんばるも何も。なにを?頑張らずとも、口を開け続けて、治療を終えるのは自分のためでもある。
第二に、子どもじゃないんだから。これ、私より年上のおじさんとかに同じように言っているのか?それとも私が馬鹿にされているのか?そのトーンの問題かもしれないが、そう感じてしまう。
第三に、これが一番重要な点なのだが。想いが全然伝わってこないのである。がんばってと思ってなくて、暇つぶし的に、言われてる感じ。高校球児の時に、みなみちゃんみたいなマネジャーに、「がんばって、くださいね、、、!」と言われたら、さぞかし嬉しかろう。歯医者の「がんばってくださいね〜」は、痛いのは我々のせいではないですよ、という自己防衛、自己弁論のようにも聞こえる。
ところで、出産した時、分娩台での助産師さん、医師の「もう少しですよ〜、上手ですよ〜」は、天使のパワーを持っていた。彼女たちのパワーはすごかった。あの言葉がなければ、出産できてなかったかもしれない。今でも寝る前などに、思い出すことがある。
そういう意味では、歯医者のケースは、やはり気持ちがこもってないから、嫌だと思うのだろう。
しかし、まぁ指摘しづらいことだし、歯医者は通わなきゃいけないし、困る。
結論、毎回聞き流そうと努力するのに尽きるのである。
がんばりすぎると、お腹が痛くなるのはなぜなのか。
小さい頃から、そうである。
合宿がんばって、帰りのバスで、途中下車。
遠距離出張するたび、おなかがいたくて、ホテルのチェックアウトに遅れる。
なんでなのか。
今日も、お腹がいたいのである。
ちょっと最近、仕事とか記事執筆を、頑張ったからなのか。
うーんうーん。
おなかいたい。
大腸のなんとか菌が、なんとかなっちゃってるのだろうか。
今日はトイレに行って、早く寝よう。お腹の調子って、本当に大事。
うつ病と、食事とか、大腸の調子って、関係あるっていうもんね。
ふぅ、寝よう。
全然中身のないことしか、書けてないけど、、、
プロ向け?アマ向け?情報発信、どちらにするか。
最近、とにかくプロ(専門家)というよりも、アマチュア(一般の人)向けの楽しい文章をとにかく多く、発信しようと心がけています。
これはなんでかというと。
プロ向けの文章を発信しても、そこから先、広がりが少ないと感じるからです。ディープにディープにいって(例えば学会などで)、そこから学者をとおして、ガーン!と伝わる可能性もあるのですが。要は、プロ向けは、じっくり、じっくり時間をかけて、インプットに比べてずーっと、波及効果が少ない感じだけれど、いつか、とんでもなく広がりを見せる可能性がある、ハイリスクハイリターンな感じの発信だなぁと。(もちろん、プロ向けの発信も、ゆっくり、ゆっくり続けていければベストだなぁとは思っています。)
それとは別に、時間が少なくても、ライトにどんどん発信する、というのが必要だなぁと考えています。インプットがライトで、ローリスクだけれど、まぁまぁのリターンが見込めると思っているからです。インプットがライトだから、数もかなり、あげられる。SNSなどを使っていけば、一般の人にも、わっと広げられる可能性があります。そしてその先、テレビや新聞などの媒体で、SNSでリーチしづらい人にもリーチ可能になる可能性があります。
そうすることで、アートをより身近にして、芸術文化団体を持続可能にできたらなぁと。毎日そんなことを考えています。
人生先が見えないから、楽しい
人生先が見えないから、楽しい。ふとそんな風に思えた。1年後、3年後、10年後、こんな風になれたらいいなとか、こんな人生だろうなとか、最近あまり強く希望がない。希望的なことは毎日書き出しているのだけれど。でも毎日、子どもが将来豊かに歌い踊れる世界を残そうと活動する中で、次はどうなるかわからないなと。ただできることをやろうと、思うようになった。音楽活動とか始めたり、プログラミングとかしちゃうかもしれないけど、それはそれで楽しそう。仕事や場所が変わったり、いろいろあるかもしれないけど、きっと楽しいだろうなと。そんな風に思うのは、今日が春らしい日だからかもしれないけど。