何がしたいかわからない時に読み書きするもの

人生って何、自分は何がしたいんだっけ、あれ、仕事って何のためにするんだっけ、って思った時に読み書きする文章

死にたいと思っても、どうか生きることを選んでほしい。

高校3年生の頃から、自殺願望を強く持つようになった。常に、ではないけれど、突発的に、あるいは1~2か月の間、思い続けてしまうこともある。のちに、最近の診断で、双極性障害だと言われた。高校3年の時からは、早10年以上経つけれど、その時のことがフラッシュバックすることが、多々ある。とても辛くて、どこにもいけなくて、学校にももちろんいけなくて、自転車とか歩きとかで、どこかどこまでも行ったりして、部屋からも出られなくて。親からも心配されるけれど、親とも口もきけなくて。私はそんなとき、音楽を聴いて、Bump of chickenに癒されて、その内友だちに救われて、そして大丈夫になった。けれどもし、少しでも何かがずれていれば、死んじゃっていたかもしれない、と思う。悲しくって、辛くって、涙しか出なくて、何も言えなかった。そんな自分が好きでさえあったのかもしれないし、とてつもなく嫌悪もしていた。

そして今、10数年経って、その当時のことはやはりつらいなと思い返すことはあるけれど、ただ、生きていてよかったなと思う。厳密には、あの時、自らの意思で、死ななくてよかったな、と思う。よくわからなくてどうしようもないこともあるけれど、少し状況が変わったり、少し大人になったり(それこそ出るホルモンが少し変わったりとかもあるかもしれない)、そうすると、あの時の状況を、もう少し冷静に見られる、自分自身に出会える。当時、「君の気持がわかるよ」という大人に出会っても、全く耳を貸さなかったかもしれないけれど、私は、過去の私自身を癒してあげることができていると思う。苦しくて、辛くて、よくわからなくなる時ももちろんあるけれど、新しい人に出会ったり、自分の興味が変わったり、自立して、親元から離れたり、価値観が変化して、楽しいことも苦しいことも美しいなと思う自分がいる。

そして何より、そういう経験を超えたからこそ、優しく強い自分になっているという風に思える。他の人に優しくあれる。何が正義か、公正かを、深く考えることができる。そういう気持ちになったことがある人、そういう経験をしたことがある人ほど、経験を超えた後、強く柔軟な人になっているはずである。だから今、もし、いかなる瞬間、死にたいと思っていても、生きることを選ぶのが良いと思う。次の瞬間、また次の瞬間と、強く、美しくなっていくと私は信じている。