何がしたいかわからない時に読み書きするもの

人生って何、自分は何がしたいんだっけ、あれ、仕事って何のためにするんだっけ、って思った時に読み書きする文章

美しさを目指すことに支えられるもの

今日、音楽教育を子どもたちに届ける団体の人と、団体のミッション等について、話す機会がありました。この4年間私は、コミュニティ活性×芸術文化の実践、ということに広く深く関わってきているのですが、最近は、様々な事業を見ることをとおして、あくまで芸術文化はツールであり、コミュニティ活性(リアルに人と人とをつなぐこと)が上位として大切なのだと思うようになっていました。もちろん芸術の美しさも大切だけれど、それは主眼ではなく、結局人と人とをつなぐことが大切なのだと。そして、今日の議論もそのような形で話していました。公的資金を使ってコミュニティ活性を謳っている事業では、芸術文化の崇高性や、音楽の美しさの高みを目指していくことについては、説明責任が果たしにくいだろうと。共感を得にくいのではないかと。しかし、最後、ある一人の人の発言に、改めてはっとさせられたのです。それは、「高みを目指すからこそ、音楽の力が発揮される」といった趣旨の言葉でした。本当に、はっとさせられました。私もつい数年前までは、そう思っていたではないかと。コミュニティ活性にとって、確かに芸術文化はツールでしかないのかもしれない。しかし、「崇高性、美しさ」というものが内包された、芸術文化であるということが重要なのです。誰でもできるような、適当にやったものではいけない。人々が一つになり、共体験をするには、姿勢、ストーリー、その質いかなるものかということ、が非常に重要であり、そうした要素があって初めて、「音楽の力」「芸術の力」が発揮させられるのだと。ここで言う「高みを目指す」や「美しさ、崇高さ」ということは、必ずしもハイアートのようなことではありません。芸術文化に対峙する人が、そこに美学をもっているか、まっすぐに向き合っているか、魂があるか、ということです。見る人・聴く人によっては、あるいは下手なのかもしれない。しかしそこに、しっかりとイデアに向かう魂が感じられることが非常に重要だということです。その「美しさを目指す姿勢」にこそ、人々は共感し、人と人とが、つながるのだと、私は思います。多様な芸術文化の在り方があってもよい。多様な人が気軽に楽しめる場も必要だと思います。しかし、地域が変革するほど、長期的に深く人をつないでいくということには、強いストーリー、美しさが、非常に重要だと思うのです。改めて、芸術文化とは何か、なぜ私が小さいころから惹きつけられてきたのか、なぜ今もどうしても、芸術の力、音楽の力を信じて研究をしているのかを、改めて実感し、軸を新たにした日でした。