何がしたいかわからない時に読み書きするもの

人生って何、自分は何がしたいんだっけ、あれ、仕事って何のためにするんだっけ、って思った時に読み書きする文章

過酷な人間の自由を超えたもの

引き続き畠山創氏の、「考える力が身につく哲学入門」を読んでいる。今日は、サルトルの「アンガージュマン」についての部分を読んだ。人間は生まれながらにして自由であり、そういった中で生きていかなければならない。そして、

「自己拘束(アンガージュマン)」するとき、つまり自分以外の何か、つまり「他者」に対する責任と共に生きるとき、初めて実現的な生き方が実現する

というものである。この一説は面白いなと思った。他者、が人である場合には想像しやすい。本書では、親が子供に対して、という場合が取り上げられていた。私はこれを読んだ時、勅使川原三郎氏のことを考えたのだが、彼にとって、他者とは、踊ることそのものなのかもしれない。もしくは、踊っているときの自分なのかもしれない。どうしても、他者=観客、という感じはないのではないかと思った。これは、優れた芸術家(というか、私が好きな芸術家)は全てそうなのではないかなと思う。彼らは、「誰か」に対する責任ではなく、自ら、社会、芸術そのもの、生きるということそのものに対峙して、生きている。まさに、人間の自由が過酷であるからこそ、その自由に正面から向き合って、その過酷さを乗り越えている人々なのではないだろうか。そうした自由を超えてこそ、人の心を揺さぶるような、芸術が生まれるのではないかと、ふと思った。