何がしたいかわからない時に読み書きするもの

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インパクトを見える化「させたい」ニーズは、どこからくるのか

前回、インパクトを見える化「する」ニーズはどこからくるのか、ということで、いくつかの能動的・受動的なニーズがあることを書いた。今回は、行政や資金提供者が、なぜインパクトを見える化「させたい」ニーズが果たしてどこから湧いてきているのかを、考えてみたい。

例えば、実際の事例として、最もわかりやすいのは、休眠預金。休眠預金は、これから開始するけれど、助成先はかならず「社会的インパクト」の評価が求められることになっている。このニーズは、どこからくるのか。それは、法案がとおって、それでも公益事業に使うことに反対する人もまだまだいて、日本では非営利的な事業にまだまだ理解が浅く、いわゆる銀行に預けられている個人のお金=国民のお金、を変に使われないか、監視するため、といっても過言ではない。成果をより高めるために、事業改善のために、というような文言はもちろん書かれているが、そもそものニーズは、説明責任、国民から批判されないため、というのが一義的に一番大きいと思う。逆に、国民が成果の向上を求めるか、というと、そうでもない。彼ら(我々)は、本来自分のお金だったはずのものが、不正に使われることを恐れているのである。行政の資金における評価も同様に説明できそうだが、実際は、行政の事業に対して、インパクトの説明責任を求める国民はそんなに多くないのではないかと思う(自らの預金という感覚はまだしも、税金がどう使われているかについては、無頓着な国民が多いように感じる)。政府や行政が、将来的に国民にとやかく言われないために、先んじて手を打っているというケースは考えられる。これらはまとめると、結局のところ、資金の出し手への、説明責任、ということになると思う。

それから、行政に特化して考えると、資金配分の効率化ということは考えられる。限られた財源がさらに先細りしていくという現状の中、お金という尺度で測りきれない事業を、なんとか評価して天秤にかけなくてはならない。そのために、効果の高い事業を知りたい、インパクトを見える化「させたい(この場合はしたい、とも置き換えられる)」ニーズは生まれると考えられる。行政以外にも、限られた寄付金や助成金の中で事業を実施する非営利団体でも、同様の方向性が考えられるだろう(現状そういった非営利団体はあまりないと案が得られるが)。

次に、「本気で成果向上のため」という場合もある。わかりやすいのは、インパク投資ファンドにおけるインパクトの見える化。社会における課題解決を、ある意味ファンドマネジャーという特定の個人が成果向上、本気で社会課題解決を投資先にさせるために、インパクトの見える化を「させたい」というニーズが生まれる。これは、まだまだ数は少ないが、こうした公益志向をもった個人が、今後徐々に増えてくるのではないかと思う。

最後に、残念ながら「ただなんとなく、そういう流れがあるから」という場合がある。欧米でそういう潮流があるから、可視化をすれば、インパクト投資という名前を使って、従来の投資やESG投資と差別化し、新たにプレスリリースを打つことができる、など(一方で、成果の可視化をしなくても、インパクト投資と呼んで、プレスを打っているケースもある・・・)。行政でも、なんとなく、そういう流れが欧米であるから、という場合もある気がする。

まとめると、
①資金の出し手の成果の確認・監視
②資金活用における効率化(特に行政)
③本気で成果向上のため
④ただなんとなく
という4つのインパクトを見える化「させたい」ニーズがあると考えられる。書いてみてわかるが、インパクトを見える化「したい」ニーズとも重なることは多いと思う。今後、①、②、③のニーズは、いずれも高まっていくのではないかと考えられる。お金が潤沢にあり、みんなが潤っていれば①、②は弱まる可能性がなくはないが、③の志向を持つ人は、ある程度自己実現がしやすくなっている世の中の構造からいって、いずれにせよ多くなる気がしている。