何がしたいかわからない時に読み書きするもの

人生って何、自分は何がしたいんだっけ、あれ、仕事って何のためにするんだっけ、って思った時に読み書きする文章

成功も正解もない、どう考え、どう表現するか

考えすぎて言葉にならないのか、言葉にならないから考えられないのかわからない感じが続いている。

人生とはなんなのだろうと思わせるような事柄が続いていて、なにも考えない時間を必然的に作るようになった気がしている。

そんな中ふと最近思ったのは、兄と私があまりに違うこと。考え方や生き方が違う。簡単に言うと、兄は社会的に適合、私は不適合。どちらもまじめだけれど、兄はステレオタイプを守りたい、私はユニークを気取りたい、という感じ。どちらが良いとか悪いとかはないけれど、どちらも幸せだし、なんなのかな、と思う。

子育ては複雑系で、成功も正解もないんだと思う。周囲の人を愛せて、周囲とうまく関係性を構築できる人であれば、あとは違っていいというか。自分に納得していて、自分の生き方に納得いかないから相手を蔑む、なんてことがなければいいというか。それさえも正しいかどうかわからないな、と思う。みんな自分が安静に生きたくて、時として周りの人を傷つけてしまう。

何かが起きたとき、自分を守ろうとしていろいろな感情が生まれて、いろいろな言葉を発しているけれど、結局はどう生きるかに成功や正解は無くて、自分が納得してじっくり生きることに意味があるんだろうな、と思うようになった。どうしても評価されたい、という想いは自分が好きなことを仕事にし始めてからも長らくあるけれど、最近はかなり減った気がする。たとえ自分の成果が誰かのテガラになってしまっても、ある程度きちんと論理的に戦って、それでもだめなら、それは仕方ないな、とか。認められるために何かをやろう、という気持ちも減った。ネームバリューがほしいという気持ちもあって、海外大学院にいこうとしていたけれど、Offerをもらっても、あまり行く気がおきなくなった。

じっくりゆっくり、自分に納得しながら、自分しか歩まない道を歩みながら、生きたいと思う。これは今まで捉えていた岡本太郎の言葉とは少し違う捉え方になるけれど、同様に危険な道を歩む、ということにもなるんだと思う。でも、情熱的に、というよりも、もっと淡々と。