何がしたいかわからない時に読み書きするもの

人生って何、自分は何がしたいんだっけ、あれ、仕事って何のためにするんだっけ、って思った時に読み書きする文章

日本の社会、ブラックボックス

Black Box、読みました。 
事件の内容には特別言及しません。書籍を通して、彼女の紡ぎ出す言葉・生き様に、女性として、日本人として、ただ一人の人として、強く胸を打たれました。そして何よりもジャーナリストとしてのプロ意識に衝撃を受けました。「そんなことしたら業界の中で生きていけないよ、業界の中ではxxしなければならない」というような仲間のアドバイスをそのまま受け入れず、自分で考え、自分の中の「正しさ」を貫く彼女は、まさに岡本太郎氏の「危険な道を選ぶ」ということに等しい行動だと思います。「そんなことしたら、周りが機関銃だらけの平原に裸で走っていくようなものだよ」という行為と似ている。社会を変えるとは、こういうことなのかもしれない。でもなぜ、彼女一人がそれを背負わなければならないのだろう。
「社会と戦ったりするより、人間として幸せになってほしい。娘には一人の女性として、平穏に結婚して幸せな家庭を築いてほしいておいうのが親の願いなんだよ」
という、彼女の父親の言葉にもそれが表れています。
加えて本書は、日本の閉ざされた「性」への認識に焦点を当てることができた良書だと思います。良くも悪くも事件そのものが注目されたことで、日本の閉ざされたブラックボックスにメスをいれる、本書の担う役割は大きいのだと思います(私も現に多くの新しい知識を得、深く考えました)。そもそも性行為について明るく語りづらい文化の中で、性犯罪はもっと語られない。被害者は本当に、泣き寝入りするしかない状況が多いと。一つ一つの事例に焦点を当てながら、なぜ法で裁きづらいのか、なぜ被害者は事件直後に法的証拠を集めづらいのか、構造的、精神的なハードルから多面的に記してあります。個人的経験とも重なったのが、「擬死状態」という言葉。被害にあう間、危険を察知して「擬死」的な状態になるため、抵抗することが難しいということです。痴漢経験者であれば、経験したことがあるのではないかな、と思います。中高生時代、多くのクラスメイトが満員電車で通ってくるので、(恐ろしいですが)痴漢を経験している子が本当に多かった。私自身、被害にあった時はただただ怖くて、まさに全身が固まったような状態になった。今は強く闘えますが、大きな声で「痴漢です!」といったり、声を上げて捕まえたりすることは、当時とてもじゃないけどできなかった。声が出ない。動くこともできないこともある。著者も記していることと似ていて、同級生と多く各自の被害について話したことはあるけれど、捕まえたケースは6年間で1件も知らない。犯罪に大きいも小さいもないのかもしれないけど、レイプは被害者にとって(日本の場合は特に)社会的死、精神世界との断絶といった非常に辛い状況になる可能性が高い。しかし、法的に裁きづらいから“仕方ない”、と語られてしまう。本書はそんな法そのものに疑問を持つきっかけも与えてくれます。
そして本書が興味深かったのは、「法的には」という言葉の元に片付けてしまう、また、とにかく批判ばかりしてしまう、日本の損得勘定システム・感情の劣化について淡々と言及していることです。何でもかんでも、損得がないと行動しないと考えている人。大いなる優しさや正義といった感覚を忘れてしまっている人。そんな人がたくさんいる。巷でよく言われる社会貢献活動をすると意識高い系・偽善者となる認識や、恋人とうまくいっていることをリア充、と呼んでしまうこと。本書の筋とは少しずれますが、社会システムの中での地位や自分の満たされない欲求にとらわれて、正義や寛大さや愛といったものを正面から受け止めきれないでいる、まさに感情の劣化について、本書を通じてまた一つ考えることができました。
薦めたい一冊です。