何がしたいかわからない時に読み書きするもの

人生って何、自分は何がしたいんだっけ、あれ、仕事って何のためにするんだっけ、って思った時に読み書きする文章

日本が沈みゆくのは、創造性というエネルギーが枯渇しているから

毎日のように、全ての人が芸術家、とか、創造性の爆発、とかいうことを言っていると、面白い人に会える+面白いことを教えて頂く機会が増えたように思います。(宗教家っぽいとも言われることもあり、それはうーんと思う・・・)

前回の記事で「創造欲求」について考えてみたい、という風に締めくくったのですが、そんなことをあれこれ口ずさんでいたら信頼する仕事仲間にこんな記事を教えてもらいました。

www.huffingtonpost.jp

より詳細にはこちら:

http://www.adobeeducate.com/genz/creating-the-future-JAPAN

これを読み、正直思った以上にショックでした。沈みゆく日本、いや、沈まない日本、という風に言われますが、若い世代がこんな状況では日本は沈みゆくだろうな、と。調査としては地域や平均学力等のデータがないので少し説得力に欠けるのですが、いずれにしても、これにはびっくりです。日本の12~18歳(以下、「Z世代」)は、自分のことを創造的だと思っていないのです。創造的だと回答したのはわずか8%。Z世代の教師もまた同じで、他国では25~30%程度が生徒を「創造的」と捉えているのに対し、日本の教師はわずか2%となっています。

加えて日本のZ世代は、卒業後の将来について「不安な気持ち(53%)」「緊張した気持ち(36%)」を最も多く抱えており、その他調査対象であったアメリカ、イギリス、オーストラリア、ドイツでは約50%を占めた「ワクワクした気持ち」が日本では31%となっています。特に顕著なのはアメリカとの比較で、上位5項目を占める将来に対する気持ちがアメリカでは全てポジティブなものなのに対し、日本では不安な気持ち、緊張した気持ち、怖い気持ちといったネガティブ/悲観的なものが3項目もランクインしています。欧米諸国(特に英国)で考えられるテロ等による不安という外部要因を考えると、日本は社会的に大きな課題を抱えているように感じます。

そして輪をかけるように問題なのが、「卒業後の将来に向けて準備ができているか」という設問に対する日本の結果です。他国では約50%~70%の生徒が「ある程度またはしっかりと準備準備ができている」と答えているのに対し、日本では僅か16%の生徒しか該当していません。具体的に目指している職業がある割合も最も低く、30%を下回っています。

これはAdobeの調査ですので、最終的にはアクティブラーニングを可能とするデジタルツール等へのお話となっていくのですが、単純にアクティブラーニング活用ツール導入、とか、オンラインポートフォリオ作成の重要性、とか、そういうことに留まらない、根本的な対策が必要な課題です。

Z世代に限らず、私たち(私は30代です)は、「こうすべき、こう答えるべき、覚えるべき」という教育の中で育ってきました。自由に論述することは少なく、大学受験で小論文が必要なことにあたふたしたことを覚えています。(手前味噌ですが)私は中高大とトップ5%に入っていた自負がありますが、そのほとんどはノウハウ、パターン学習によって獲得できたものです。私が大人になってあらゆる知識や思想を通して、自分の中でかみ砕いて表現する、ということをするようになったのは、学校教育のおかげではなく、趣味として文学(特に太宰治)や芸術(特に音楽)の世界に没頭する時間が単純に長かったからだと思います。"クリエイティビティ"、ゆとり教育生涯学習、などなど、様々なことがちらほら言われていますが、根本的には教育の仕組みはほぼ変わっておらず、みんな回答の決まった試験勉強・受験勉強にごりごり励んでいるのではないでしょうか。また、何より社会の仕組みが高度経済成長期からあまり変わっておらず、働く社会人がみんな右習え、真っ黒スーツ、大企業の中でのOne of themなのですから、Z世代がVisionaryになれるわけがないのです。余談ですが、数か月前にテレビで見てびっくりしたのは、就活生が手帳片手にみんな同じ黒い鞄を持って、「Work life balance」を謳う保険会社に一生懸命面接を受けに行っている映像でした。「安定した企業で、ワークライフバランスを求めて受けに来ました」とインタビューに答える映像に、えと、あれ、何のために働くんだっけ?安定ってそこにあるものなの?自分で作り出すものじゃないの?保険会社が日本の人口構造・医療の中でどうなるかとか考えないの?とたくさん疑問を感じました。

没個性的に協働することが求められたのは、高度経済成長期から続く産業構造の中、規模の経済を働かせることで利益を生み出すことが重要だったからです。そして戦後の人々のメンタリティは今とは全く違っていた。テクノロジーが発達し、AIが到来する中、今求められるのはコマの一つとして動く能力ではありません。そして本来、人間が持つべき、発揮すべき力は、コマの一つとして動くことだけではありません。今重要なのは、まず自分とは何か、自分自身の思想、思考、意見、表現を持ったうえで、ぶつかりあって、協働していくことなのです。没個性的スタイルが安定・成長をもたらす時代は終焉しています。

こうした課題に対して教育が担う役割はもちろん大きいですが、これは社会全体の話です。みんなが右のときに左を向いても、飛び出ても、それを排斥しない、むしろ称賛し受け入れる社会が必要なのです。Z世代を含む子どもに限らず、大人に対してもそうです。出る杭は伸ばす、みんな違う杭なのですから、どんどん違う方向に伸ばしていく。それが今後の世界をよりSustainableにします。しかしこれは「鶏が先か、卵が先か」の話で、そういう人がたくさん出てこないとそういう人を受け入れる社会はなかなか出来上がってこないし、そういう社会でないと飛び出る人はなかなか出てきません。

そんなわけで、ひとまずみんながどんどん卵になっていくことを提唱したいのです。一人一人が自分の創造性、エネルギーの源を発見してそれを表現すること、少なくともそれができると信じることから実現していきたいのです。「危険な道を選べ」とは、このことです。社会、親、あるいは上司がたとえ受け入れてくれない可能性があっても、自分の創造性を信じて突き進んでいく、お前には創造性なんかないよ、と言われても、あるんだ、と信じて生きていく。それが大切なのです。思っていないことは実現しません。逆に思っていればそれが自分の世界になります。みんな誰しも創造的なのです。自分なりの思考、思想、表現を持っています。

そのためにはまず自分を信じること、それからそういう風に信じて生きている(生きていた)人を見つけることです。岡本太郎氏もそうですし、私が知る限り藤倉大さん、勅使河原三郎さん、中島義道さん、みんなそうだと思います。書籍や作品に触れるだけでも大きく勇気をもらえると思います。芸術家や哲学者ばかりではありません。身の回りにも(日本には少ないと思いますが)探せばいると思います。私にもそういった友人がいます。探したら、その人とたくさん話すことです。自分の創造性を信じている人は、周りの人の創造性も信じているはずです。それから、なんでもいいから創造活動をしてみることです。陶芸でも、ダンスでも、文章でも、料理でも、何かものを作ること。習いに行くのではなく、0から自分でやってみる。はじめは怖いとか、何をやったらいいかわからないとか、そんな状況かもしれませんが、1か月もやってみれば、だんだん自分なりの個性が見えてくると思います。私は文章を書くし、絵も描くし、それからダンスと音楽もやります(でも料理は苦手です)。そうして面白がっていますし、新しい自分を常に発見しています。誰かにどう思われるかとかは気にしていません。

私たちは、生まれながらに創造的であり、生まれるということは世界を創造しているということです。日本人は、先の調査結果が示すように、強調し、和を以て貴しとなすスタイルが元来得意です。これは他の文化に少ないとても重要な強みです。こうした強みをベースに、一人一人が個々の創造性を信じられると、とても強いと思います。日本が沈みゆく可能性があるのは、人口構造のもたらす課題や、多様な産業の退廃だけが原因ではありません。仕組みや構造の課題は個々人のメンタルモデルと密接に絡み合っています。一人一人の創造性というエネルギーの枯渇は、あらゆる社会課題の、あらゆる個々人の持つ課題の根本にあるものです。8%という数字が物語るように、創造性の欠如の課題は既に変曲点を迎えていると感じます。これは喫緊の課題です。一人一人が、社会がそれぞれの創造性を信じられる世界になるには、今から多くの努力・対策が必要です。繰り返しになりますが、まずそのためには、一人一人が、「自分を信じ、創造的に生きている人に触れ、何らかの創作活動を継続してみる(少なくともそう努力する)」、ということだと思います。そうしてVisionaryな人々が増える。それがSustainableな世界にとって必要不可欠なことだと、私は思います。