何がしたいかわからない時に読み書きするもの

人生って何、自分は何がしたいんだっけ、あれ、仕事って何のためにするんだっけ、って思った時に読み書きする文章

人、即、宇宙、岡本太郎に続く

 相変わらずこの2週間ほど、岡本太郎にはまっている。美しい文章、まっすぐな心、彼の哲学から学ぶことが多い。(異なる本の中に同じエピソードは多いが、何度読んでも心に響く)

 

 私が好きな内容を、かいつまんで書き直してみる。

 

 ①世界は変えられないが、自分自身は変えられる。自分というミクロ宇宙。存在はささやかでも、猛烈に彩らせる。これが人、即、宇宙ということである。

 

 ②瞬間瞬間「死」を意識し、危険な道に挑み続ける。そうして「生」を猛烈に咲かせるのである。

 

 ③孤立無援、孤独の目を貫き通す。運動とは、まったく孤独な自立した個人個人がある共通の目標をもって共にたたくことであり、お互いを突っ放したうえでの同士であり、もたれあいではない。

 

 いずれも現状の自分をぐさーっと突き抜ける言葉であるが、特に好きなのは、③である。互いを突っ放して、意見をぶつけ合って、腹を割って、たくさん話して初めて同士となれる。最近の仕事仲間のなれ合いは特に嫌いで、ぐぇーっと思う。
 私の最近のテーマは、危険な道に挑み続けて、走り続けることなのだけど、加えて友だちがほしい、ということもある。岡本太郎のように、思っていることを腹の底からお互いにぶつけられる友、同士がほしい。(なれあい、とか、徒党を組む、とうい意味ではなくて)

 

 少し話がそれたけれど、岡本太郎氏の死後、もう21年が経つけれど、彼の信念は、人として絶対的に美しく、素朴で心を動かす。

 私(たち)は、こうした岡本太郎氏の言葉に感動するだけではなくて、一瞬一瞬をまさに「爆発」して「生きる」ことが求められていると思う。広がるアンチイズム、極端な利潤追求による自己表現の枯渇や全く頭を使わない枠組み思考、うつ病を始めとする拡がる閉塞感、等々。子どもの貧困、若者のニート化、高齢者の孤独、といった社会課題は表層的なものにすぎないと思う。そうした課題に一つ一つ取り組むことはもちろん大切であるが、私が取り組みたいのは、個人個人の人生観の欠落、という課題である。自分自身も考え続けているけれど、全ての人が、自分のエネルギーの源にアクセスできる世界にしたい。「生きる」において、全ての人がまさに爆発的な正のエネルギーに触れられる世界をつくりたい。私の場合はコンテンポラリーダンスであり、岡本太郎氏の言葉であるが、全ての人が人生観の中にそうした「爆発的なエネルギー」を持っている世界。太郎氏のように人生をそのまま危険にさらし続け、社会的死さえ覚悟するところまで私は至れていないが、自分の信念に素直に、純粋に、エネルギーの源にアクセスし続けながら、放ち、生き、咲いていきたい。日々瞬間、そう決意している。全ての人が、せめて、そうしたエネルギーにアクセスできる世界にしたい。

 

 生きる、生きる、考えて、考えて、生きる