何がしたいかわからない時に読み書きするもの

人生って何、自分は何がしたいんだっけ、あれ、仕事って何のためにするんだっけ、って思った時に読み書きする文章

それでも日々生きる、そして歓喜を探し続ける

岡本太郎氏にはまりすぎて、やばい。

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はまりすぎて一般生活が苦しくて仕方なくなります。

自分の心に、信念に正直であることは、社会的には実はとても苦しいことがある、というのがよくわかってきます。

でも仕事はするし、自分の好きなことは探し続けるし、自分の好きなことはやり続ける。でも、仕事はする。そして自分の歓喜を探す。

そうしてたまに鬱になりかけて、夜泣きながら眠れなくなったり、ものすごくエネルギーがわくような出来事に遭遇して、改めて自分の生きる意味をかみしめたり、転じて生きることが実感できたり、そんな感じです。

根本的には人間は変わらない。小さなころからの思考のループなんて、ほとんど変わっていないんじゃないか、と思う。変える必要はないけど、でもそういうものだ、という認識は大事なんじゃないかと思う。

例えば私の場合は、小さいころからこういうことばっかり考えている。人はなんで生きているのか、なんで死んではいけないのか、好きなことをしたい、でも好きなことをするにはたくさんの社会的制約がある、云々。

私はずっとそんなことばっかり考えている。その上社会的成功や名誉や、地位や、お金を期待し続けてきた。今でも少しそういうところはある(比較論)。そしてばーん、とバランスを崩す。死にたい、とか、傷つきたい、とか、そういったことを本気で思う。そしていつも同じように、やらなければならないことに没頭したりして、また再び歓喜の淵を見る。本当にやりたいことなんて永遠にだれもわからないかもしれないけれど、本当に喜びを生み出し、感じていることをやっているうちは、わかるとか、わからないとか、そういうことではない。いちいち社会的云々とか、考えないものだ。

加えて、最近は特に成功したい、とかこれが幸せ、とか、そういう感情ではなく、もっと自分のことをよく知りたいな、と思うようになった。そして、その中でも歓喜を、エネルギーを自分自身に生み出すための生き方を模索するようになった。

そもそも自分のことが全然わかっていない。一体誰なんだろう、と痛烈に思うようになった。

生きることは喜びを発掘し、生み出し、伝えること。

まだまだよくわからないのだけれど、ただ一つ明確なことは、喜びの源にアクセスし続け、歓喜を生み出し続け、それを共有するということ。

それが私ができること。