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何がしたいかわからない時に読み書きするもの

人生って何、自分は何がしたいんだっけ、あれ、仕事って何のためにするんだっけ、って思った時に読み書きする文章

誰かのためではなく、ある特定の人のためであり、何よりもそれは自分のためであること

旅先でワークショップをしてみた。

そこで気付いたことは、参加するのと開催するのでは大きく意味が違うということ。

誰かにしてもらう、こうなってほしい、こうしてほしい、というのは大きなエゴであり、相手のためにはならないということがよく分かった。そして、自分のためにもならない。自分の理想像を押し付けることは、相手への攻撃でもある。

相手の気づきを尊重すること、相手の自発的な自覚を促すこと、そしてそれは何かの形の押し付けではないこと。自分自身もたくさんのことを気付かされた。どうすれば自分の思っている感情を相手にもわかってもらえるのだろう、それがただ言語での受け渡しではなく、圧倒的なその人の実感として、どのようにその人に伝えられるのだろう。

そしてそれは目の前に相手がいて初めて行われる感情の受け渡しであり、対話である。想像上で語っているとき、描いているときには、その行為はあくまで空想であり、エゴの領域を出ない。誰でもないどこかにいる人のためである場合、それはより空想に近く、自分のためというよりも、自分のエゴのためである。

一度空想ではなく、実在のものとして、ただ特定の愛する人に、わかってほしい、そのひとに気づいてほしい、その人に自発的に何かをしてほしいと願い、そう働きかけるとき、それはエゴの領域を超える。そして多いに自分の美しさのためでもある。

そう思った。そして私にとって実際にそれを続けていくことが重要である。一緒にワークショップの場に来る人と共に、対話を続けていくことが一人一人の実感を成長させ、自分自身の実感を成長させることにつながる。

何かを正しいと思って押し付けるのでもなく、自分自身の理想を描くだけではなく、直接的に目の前にいる人との対話を具現化し続ける。

それこそが何か実感を持って実施していることとして、自分自身に納得感をもたらしてくれるのではないだろうか。