何がしたいかわからない時に読み書きするもの

人生って何、自分は何がしたいんだっけ、あれ、仕事って何のためにするんだっけ、って思った時に読み書きする文章

「意識する」ことで自分が広がる、世界が変わる

 近頃「意識する」ということの重要性を実感しています。「意識する」というのは、「理解する」とも、「同意する」とも違う。ただただ、そこに何があるか、感じるかを「意識する」ということです。

 これは最近のダンスのワークショップでよく学ぶことなのですが、普段意識している手や、首や、眉毛など、そんなところだけでなく、耳の後ろ、足の指の付け根、鼻の穴の中の奥側など、意識したこともない、動かすことができないようなところも、意識すると、動きが変わったりする。自分の感じ方が変わったりする。それは「見る」とか「触る」とか、五感で感じられるものではないのですが、ある部分に、自分の中にあるビームとでもいうようなものを向ける、という感覚です。私は、「意識する」ことを行うと、自分自身の心の場所がわかるような気がして、不思議で楽しい感覚になります。頭蓋骨の裏側、食道の奥底、うちくるぶしにくっついている腱。そうして自分の身体が変わる、広がることに気づき、自分の身体が感じられる世界が変わる。この感覚を追い求め続けたいから、ダンスに強く惹かれているのだとも思います。

 そうして、これは別に自分の身体の話だけではなく、あらゆることを「意識する」ことで、たくさんの気づきにつながり、世界そのものが変わる、ということだと感じます。別に全部のものを好きになれないし、何でもかんでも愛おしいとは思えない。むかつくことだって、嫌な人だっている。でもそれをまず「意識する」ことが大事。そこから自分が変わっていく。自分は回りより偉いと思っている、頭がいいと思っている、そう思っていることを意識する。そしてだんだんと別に偉いとか頭がいいとか、だれも決められないことだと気づく。自分がそう思い込んでいることだけだと気づく。そしてまた、そういう自分の感情によって周りの人が嫌悪感を持っていることに気づく。そういうことを意識する、居心地が悪くなる、そうして自分のプライドがどうでもよいと実感していく。だんだんと自分の毒素が抜けていく。世界はもっと広いことに気づいていく。そうして気持ちは波及して、コミュニティ全体が変わる、広がって、世界が変わっていく。通りすがりの人を意識する。その人の洋服や立ち居振る舞いを意識する。自分自身のことに気づく。周囲の人の悩みや喜びに気づく。そうして徐々に、パズルのピースが居心地の良い位置に近づいていくのではないかと思います。

 新しいことに意識を向けると、人生が何倍も広がる気がします。事実、日々何の変化もなさそうに見えて、あっという間に過ぎていた一か月が、この一か月、本当に長いように、変化に富んでいるように感じています。

 今日も、耳の中、左中指の第二関節、レストランのレンガの漆喰、横に立つ店員さんの表情、そういった一つ一つに意識を向けて、自分の変化を楽しみたいなと思います。