何がしたいかわからない時に読み書きするもの

人生って何、自分は何がしたいんだっけ、あれ、仕事って何のためにするんだっけ、って思った時に読み書きする文章

何がしたいかわからない時は強く感動するものに近づき続けること

 2017年、相変わらずこれだ!と一つのものに向かうんだ!というような強い目標を持てずにいます。仕事もまぁ好きだし、えぇと、趣味のこれとそれは面白いし、というような。。。

 でも、何がしたいかわからなくても(言語化がきちんとできていなくても)、とにかく強く感動するものに近づき続けることが、私にとって大切なんだな、と思うようになりました。

 年末年始に物理的にも精神的にも多様な文化に触れる旅をしました。その中で長年海外で芸術家として活躍する方(日本人)の精神に深く触れることができました。そこで強く感じたことは、何をやっても、それが正解なのか、本当にやりたいことなのか、わからなくなる時は来る。やってもやっても評価されない、理解されない、経済的にも精神的にも苦労ばかりがある。それでも、自分が『これは美しい・これはすばらしい・これはとにかくわからないけど感情を動かされる』というものがあり、それに少しでも近づいていくことが大切だと感じました。また、一人でも二人でも、自分を応援してくれる人が重要だということも実感しました。

 その人にとってはそれがある芸術作品だったわけですが、私にとっては、音楽であり、新しいものを生み出し続ける芸術作品であり(特に現代音楽・現代舞踊)、そして具体的な活動としてはピアノの演奏とコンテンポラリーダンスなのだな、と思いました。絵もやりたい。

 何になるかわからないし、仕事でもないのだけど、それをやることによって、自分の美学を追求し、自分自身で感情を動かし続けることができる。それをめんどうくさいとか、評価されないとか思ったとしても、そこにYuja Wang、上原ひろみ藤倉大、勅使河原三郎、Gustavo Dudamelとか、自分が感動し、尊敬し、実際に世界を実現している人々を見聞き、感じることによって自分も自分の世界の表現をあきらめないでいられる。

 私にとって、2017年は、強く感動するものを感じ続け(藤倉大さんの曲を聴く、Dudamelの演奏を聴く、上原ひろみの演奏を聴く、Karasの作品を見続ける)、そして表現し続ける(ピアノを弾く(ClassicもJazzも)、ダンスを踊る)年にしたいと思っています。

 留学(専門は芸術×教育学・心理学)は、『学問する』ことそのものが、自分の中の本当の美学に基づくわけではないなぁと思う。ただヨーロッパの文化に触れられる続ける期間としては魅力的だなと思ってしまうけど。強く感動するわけではない。から保留です。専門分野が本当に学びたいことなのかがまだ疑問なのですね。

 2017年初の記事はこれまでです。