何がしたいかわからない時に読み書きするもの

人生って何、自分は何がしたいんだっけ、あれ、仕事って何のためにするんだっけ、って思った時に読み書きする文章

生きているという実感とことに向かう意志

 『生きている実感』があることなんて、あるんだっけ、というのが現代社会の常なのかではないかと思います。私はあまり生きている実感、普段感じていないように思います。仕事をしても、日々ごはんを食べても、無感動に流され作業しているような感覚を持つことが多いのではないかなぁと思っています。ちょっと前にマインドフルネスをかじったりしたときには、「毎日が生きている実感」なんて思ったこともあったのですが、一巡りしてまたこうして無感動に生きる時間も多いなぁ、としみじみ思っているところです。

 それでも今を生きる上で私が『生きている実感』あるなぁ、と思うことは、いくらかあります。それはイコール没頭できているとき、のあと。その没頭から醒めたとき。ピアノとか、ダンスとか、(一部の)仕事とかに没頭した後、2・3時間して、はっとしたときに、夢から醒めたようになったとき。「あ!よかった、生きているってこういうことね」と思います。そうしてもっとそういった部分を突き詰めよう、と思います。

 そうしてこの感覚は、何かを求める欲求とも違っていると思っています。あぁ、ピアノを弾きたい、踊りたい、といった『欲』というよりも、あぁピアノを弾こう、ダンスをしよう、仕事をしよう、という非常に自然な『意志』が沸き起こる感覚なのです。これは大変貴重な「ことに向かう意志」だと思っています。これこそが、自分自身の人生の軸になり、自信になり、そして存在意義になるのだと信じています。

 子どものためのプログラムを仕事で企画したり、運営したりすることもあるのですが、何かのツールや枠組みにとらわれることなく、すべての子どもにとって、それぞれが「自分自身が自然にことに向かう意志」を発揮できるものを探すことが重要だと感じています。スポーツだけでも、音楽だけでも、勉強だけでもなかなか難しいこともある。でもスポーツだけでも、音楽だけでも、勉強だけでも簡単に見つけられることもある。これは子どもだけではなく、往々にして自分自身の夢や希望を忘れてしまいがちな働く大人に対しても大変重要なことです。何もしたくないからこれをやる、とか、非常に強い力で何かをしたい、とか、何か別の目的(特にお金とか)のためにやる、とかそういうことではなくて『自然な形で沸き起こる』『やるのである、という意志』がよく生きることにつながるのだと、私は思います。そして結果、そうであるからこそ、周りの人に多く連鎖し、より大きなうねりになるのだと思います。

 仕事は良くも悪くもお金目的で行うことが多くなっている時代ですが、『自然にこれをやるのである、そしてこれをやることこそが自分の生きる意志なのである』ということが仕事になれば、そういう人がもっと増えれば、社会はもっとねじれがなくなっていくのではないかなぁと思います。私もそうして日々自分自身をUpdateし続けています。

 とりとめがないですが、今日の思いはここまで。